川端康成で芽吹き谷崎潤一郎で熟した女性イラストレーターが描く思春期の性とは~『どうにかなりそう』作者・岡藤真依さんインタビュー

気鋭のイラストレーター岡藤真依さんの初の漫画作品『どうにかなりそう』(イースト・プレス)が昨年12月に発売になりました。 同作品には、みずみずしく柔らかなタッチのなかにドキリとさせられる生々しさが潜んでいて、一筋縄ではいかない青春の揺れが表現されています。漫画家の小玉ユキさん、ミュージシャンの曽我部恵一さん、綾小路翔さん、吉澤嘉代子さんらも絶賛するこの作品が生まれた背景や込められた思いについて、岡藤さんに伺いました。

 

性描く漫画、親の反応は?

 

――初の単行本ご出版、おめでとうございます!

 

岡藤 ありがとうございます!

 

――早速ですが、これまでイラストレーターとして活躍されてきた岡藤さんが、今回漫画に挑戦されたきっかけを教えてください。

 

岡藤 当初、MATOGROSSO(イースト・プレスの運営するWEBメディア)でイラストの連載をする予定だったのですが、描いたイラストの前後のストーリーも載せたいっていう話になり、結果的にちゃんとした漫画にしよう、ということになりました。どの話もラスト間際に、決めのイラストを持ってくることが出来るよう、ストーリーを肉付けしていきました。

 

――『どうにかなりそう』は、思春期の性がテーマですが、発売されてみて周囲からはどんな反応がありましたか? 岡藤さんのツイートに、「ようやく親に顔向けできる」という内容のものがあって、気になったのですが…。

 

岡藤 自分の仕事について親にはあまり話してこなかったのですが、以前描いた若干過激めのイラストを親が見つけてしまって、そのときの言葉にグサリと来た覚えが…。

 

――それはどんな言葉だったのでしょう…。

 

岡藤 「いわさきちひろみたいな作風だったら、知り合いにも自慢できるのに」って(笑)。同じ水彩画でもわたしのものは性描写が多いので人様に言いにくい、と。でも今回本が出ることを伝えたら喜んでくれて、本屋さんで予約して買ってくれたみたいです。

 

――どんな感想が来ましたか?

 

岡藤 中身も褒めてくれつつ、「なによりも表紙の文字がいいね」って、それはわたしじゃなくてデザイナーの鈴木成一さんの功績なのですが(笑)。 (※表紙の文字は、鈴木成一デザイン室による今回のためのオリジナルフォント) でも、親も少しは認めてくれたようでうれしかったです。

 

――作中で、男性をスカートの中に入れたり、足で顔を踏みつけたりなど、物怖じせず果敢に攻めていく女の子のキャラクターが見られます。そうしたモチーフが生まれた背景というのは、何かあるのでしょうか?

 

 

岡藤 うーん…しいて言うと、育った環境でしょうか…。父親の出身が兵庫県の田舎の方で、休みの度に帰省していて。そこには「男を立てなければならない」という空気がしっかりとあって、女の子が発言することすら「はしたない」っていう風習があったんですね。自分の意見を言うと、嫌がられるというか、げんなりされる。

 

――その反動として、男性に対して自由にふるまいたい思いが芽生えたのかもしれないと。

 

岡藤 そうですね。あとこれは大人になってからの話ですが、男性と性的な場面になったとき、少しでも自分の欲求をあらわにすると引かれる、という経験が何度かあって。

 

――女性には受け身であってほしい、という願望のある男性だったのでしょうか…。

 

岡藤 性に対して積極的になるのは、相手のことが好きだからじゃないですか。それをぶつけるのがなんでいけないことなんだろう、って。性についてだけではなくて、「なんで気持ちに素直じゃいけないんだろう」って思っていて、自由にしていたいという欲求が常日頃からありますね。

 

『伊豆の踊子』で芽生えた性の意識

 

――そういう欲求を漫画に込められたのですね。作中にいくつか小説が出てきますが、昔から読書はお好きなんですか?

 

岡藤 そうですね。子どもの頃、家にあった親の本を読んでいました。

 

――家にあったもので、特に面白いと思った本は?

 

岡藤 今でもすごく覚えているのは、川端康成の『伊豆の踊子』ですね。最初は普通に踊り子との話なんですけど、最後に一緒に船に乗った学生さんのマントにくるまって寝るというシーンがあって。「え?この人たち、男の人同士で何やってるんだろう?」って、不思議と胸の疼きを感じたんです。BLへの興味の始まりですね(笑)。

 

――当時おいくつでしたか?

 

岡藤 10歳とか11歳とか。

 

――早熟!

 

岡藤 それが自分にとっての性の萌芽なのかな(笑)。

 

――「マントでくるむ」って、岡藤さんのイラストのモチーフに近い気がしますね。岡藤さんは高石宏輔さんの『声をかける』の表紙イラストも手掛けていらっしゃいますが、今回の『どうにかなりそう』も『声をかける』も、女性が自分の履いているスカートの中に男性を入れています。

 

 

岡藤 言われてみるとそうですね…。カーテンにくるまるのが好きで、小学校のときに一人でカーテンにくるまってドキドキしたりしていました(笑)。『どうにかなりそう』をつくりながら編集さんと映画の『台風クラブ』の話を何度もしたのですが、その中でも布団にくるまって自慰をするシーンがありましたね。

 

あと、小学生くらいの頃に読んだ宮本輝の『螢川』っていう小説の中に、女の子がスカートの端を持ってあおぎながら、男の子に「見たらいややァ……」っていうシーンがあったんですよ。無数の蛍が舞っていて、服の中にも入ってこようとするから追い払おうとしてたんですけど、そのシーンがやけに印象に残っています。

 

――その手の話の流れとして、谷崎潤一郎はお好きでしたか?

 

岡藤 谷崎はなぜか子供の頃は読んでなくて、大人になってから読みました。男性の顔を踏む描写自体は『富美子の足』という短編に出てくるのですが、それもありつつ、『春琴抄』をより意識しました。美女に身も心も捧げる男の幸せ、みたいな。下僕である佐助が自分のことを絶対に裏切らないってわかってるから、春琴は彼に対してものすごく強気に出るんですよ。完全に甘えているところがあるんですよね。

 

――100%他人に預けられることってそんなにないですよね。

 

岡藤 そこにおそらく憧れがあるんだと思います。だいたいは、人間に対する恐怖心とか、拒まれたらどうしようとか抱えてるんですけど、そこで「引く」のではなくて「行く」っていう人、そういう強さを描きたかったんです。

 

恐怖を乗り越え、一歩踏み出す人を描きたかった

 

――作品に出てくる人物は、傷つくリスクを背負ってでも、みんな踏み出していますよね。

 

岡藤 片思いなんてまさにそうですけど、なかなか一歩を踏み出せないですよね。そこをちゃんと変えていく、自分で飛び込んでいく姿を描きたいんだと思います。

 

――それは岡藤さんが一歩を踏み出す人なのか、あるいは出来ないからこそ描きたいのか、どちらでしょう?

 

岡藤 高校生くらいの頃は踏み出すことが全然できなくて、流されっぱなしだったんですね。悶々としていたというか、鬱屈していた記憶ばかり。でも大人になっていくにつれて、「自分で言う」ということをしないと何も変わらないし、誰も気付いてくれないということがわかって。それからは、「やるかやらないかだったら、やる」っていう選択をするようになったんですね。

 

わたしは中高一貫の女子校に通っていて、よく言えば平和、悪く言えばぬるま湯のような環境に6年間いました。人間関係がずっと変わらないから、一度できたグループもほぼそのままで、いつも同じような話をして。私立の高校だったから、家庭環境もだいたい同じような感じで。すごく平和だったけど、いつも何か足りない。風穴を探しているような毎日でしたね。

 

そんな高校生活だったこともあってか『どうにかなりそう』では、現状に満足せず、ジタバタしながらも前進しようとする人を描こうと思いました。この中に出てくる美術部の梢は、基本的にウジウジしているんだけど、いろんな人の手助けをもらいながら一歩を踏み出していきます。そういう人が好きだし、描きたいと思っています。

 

――梢に自分を重ねる読者は多いのでは、と思いました。

 

岡藤 実は自分で一番気に入っているシーンがここなのですが、

 

 

よく漫画家の人が言う「自分の意図を超えて、キャラクターが勝手に動く」っていうのを聞くたび「そんなことってあるのかなぁ」と思っていたけど、まさにそんな感じでした。この梢のセリフは自然にパラパラっと出てきて、その途端に涙が溢れて止まらなくなって。「これがわたしの言いたかったことで、わたしが絵を描いたりしている理由なんだな」って、そこで気付かされたような感覚でした。うれしいけど悲しい、みたいなシーンだし、その両面の気持ちをこのシーンに込めたんですね。人間のすてきなところと嫌なところ。誠実なところとズルいところ。そういう両面があってこその美しさって言うんですかね。両方あるから心が震えるっていうか、そういう気持ちですね。

 

杖でもあり、呪いでもある言葉

 

岡藤 あとこの話を描くとき、中・高で一緒だったヒロコちゃんから言われた言葉を思い出しました。それは川端康成で芽吹いたBLへの意識が高校になった頃には花開いていて、授業中にBL漫画を勝手に創作していたんですが(笑)、それを読んだヒロコちゃん、彼女は良いおうちのお嬢さんで、サブカル的なものにまったく興味のない女の子なのですが、その彼女がとても真剣に、「将来、絶対にこういうことを表現する人になるよ」って言ってくれて。それがずっとわたしの中で、杖にもなり、呪いにもなっているっていうんですかね。魔法をかけられたような気持ち。すごい喜びでもあるけど、苦しみでもあるんですよね。

 

――岡藤さんのその経験は、まさに秀雄の梢への言葉に重なりますね。

 

 

梢も、秀雄のその言葉を励みにしつつ、一方その言葉に呪われながら表現の道を行くのでしょうね…。読んでいて梢に感情移入できる理由がわかった気がします。

 

一方、梢が思いを寄せる野球部のエース秀雄と付き合う、真美ちゃんという女の子がいます。

 

岡藤 真美は梢のようなウジウジがなく、好きな気持ちをドーン!と出せるキャラクターとして描きました。秀雄と付き合うことができて、好きな人と初体験ができて幸せの絶頂を迎え…って、少女漫画だったらそこで終われるんですが、そうはしない。

 

――それがこの作品の素敵なところです! 真正面から青春を謳歌している真美にちょっとジェラシーを覚えるのですが(笑)、後半で真美自身がジェラシーを抱く描写がありますよね。ここがすごくよかったというか、みんな人間だから、等しくくやしさを感じたりしながら生きてるよなって思えました。梢の持っているものと持っていないもの、真美の持っているものと持っていないもの、それがただ違うだけなんですよね。いわゆるスクールカースト云々っていう話の先を描いているように思えて、そこが素晴らしいと感じました。

 

あと人間くさくていいなと思ったのが、教師である安藤が自分の生徒に思わずキスをしてしまうシーン。

 

岡藤 安藤先生は、わたしの中の一番ダメな男の人像ですね(笑)。生徒に思わずキスしてしまうのは弱さのあらわれなので、そういうところにわたしの男性観を込められたかなと思います。

 

この話全体に言えることですが、完全にいい人も、完全に悪い人もいないように描こうと心がけました。ちょっと自分勝手なところって誰でも持っていますよね。相手のことを思いやっていると口では言いつつ、結局自分しか見えていなかったり。そういうことを、そのまま描けたらと思いました。

 

初体験は”喪失”ではない

 

――そういう人間の生々しさを描いている反面、とってもドリーミーな表現が同居しているのも素敵で。特に、秀雄と真美が初体験をする描写が本当に良かったです。自転車を二人乗りしているシーンの次に、二人が飛び込み台に立っている、っていう。

 

 

岡藤 もともと、プールに飛び込むことをセックスと結び付けたイラストを描いていました。三島由紀夫の『潮騒』にある「その火を飛び越して来い」みたいな感じで、飛び込むことをセックスになぞらえるっていう。一線を超えることに、スリルを覚えるっていう描き方ですね。

 

少女漫画を読むと初体験を割とセンシティブに描くものが多い気がするのですが、もっとうれしいこととして描きたかったんです。「喪失」って言うけど、喪失していないし、なにか得るものの方が大きいよな、っていうのがあって。それはたぶん「自分をさらけ出すことが出来た」っていうことですよね。大人になってからの裸なんて、親にだって見せないじゃないですか。血のつながった人にさえ見せないものを、見せてしまうっていう。

 

――第1話に出てくる、女性器を友だちの男の子に見てもらう女の子の話も、根底にはそういう思いがありますか?

 

岡藤 そうですね、全体的に「自分をさらけ出す」がテーマになってるのかも。自分をさらけ出して、それが受け止められたときの喜びを描きたかったのかもしれません。1話目のテーマは、「自分で醜いと思っている自分の部分を、あなたは受け入れてくれますか?」でした。どこかで「女性器をおぞましいもの」だと刷り込まれているので、だからこそ「綺麗やった」って言ってもらえたらうれしいだろうなと。

 

自分で気にしたりだめだと思ってる部分を誰かに肯定してもらう喜びは、ほかの場面でもあると思うんですね。だから女性器はメタファー(笑)。自分に自信のない子が、好きな人に「かわいいね」って言われただけで自信を持てたりするのと一緒かなって。

 

――ちいさな自分の殻を破って外の世界に出ていくとき、恋愛や性は大きな力となりますね。この作品に登場する人物のように、自分の性や弱さと向き合って清々しくありたいと思いました!

 

今回の作品を経て、次はどんな作品を描きたいですか?

 

岡藤 真剣にセックスシーンを描いてみたい! でも挿入している箇所を描きたいってわけではなくて(笑)、裸の状態の人間を描きたいのかもしれないです。生まれたての姿になった、若い男女が描きたい!

 

――描く人の年齢は、次回も高校生くらいですか?

 

岡藤 もう一回くらいは高校生を描きたいですね。20歳くらいの若い男女も描いてみたいかな。あと、男同士を描きたい、ついに!

 

――「ついに」感があるんですね(笑)。喜ぶ方がたくさんいらっしゃるはず!

 

最後に、『どうにかなりそう』をどんな人に読んでもらいたいですか?

 

岡藤 老若男女ではありますが、小中学生がうっかり読んで心に残ってしまうような作品になっていたらうれしいですね。現役小中学生に読んでもらって感想を聞いてみたい(笑)。「何これ?」って言われそうだけど。

 

わたしが川端康成を読んで芽吹いたように、『どうにかなりそう』を読んで性の萌芽を迎える人がいたら本望です(笑)。

 

(終わり)

 

 

岡藤真依 (おかふじ・まい)

兵庫県神戸市生まれ。 乙女座。B型。イラストレーター、漫画家。思春期の少年少女の、未完成な性をモチーフとした作風で注目を集める。京都精華大学芸術学科卒業。2013年「シブカル杯。」グランプリ受賞。美術手帖「ART NAVI」表紙、「Rolling Stone」日本版にイラスト提供など様々な媒体で活躍。初の本格マンガ連載である本作「どうにかなりそう」はWebメディア・MATOGROSSOに掲載され、加筆修正と描き下ろしを加え構成された。http://okafujimai.com/

企画協力 堅田浩二