書きたいときだけ書くレビュー 第1回『マキエマキ』

あたらしいコーナーです。タイトルのままですが、WEBmagazine温度の碇(やそのほかの書きたい方)が書きたいときだけレビューを書いていきます。第1回目は話題の自撮り熟女マキエマキさん初の作品集『マキエマキ』(集英社インターナショナル)です。

初めてマキエマキさんを知ったのは、3年前の都築響一さんのイベントだった。”自撮り熟女”という紹介を受けた彼女は実に堂々とあらわれ、ミニスカートのセーラー服でポーズをとり観客の撮影に応じていた(むしろ撮影を煽っていた)。その姿に混乱したが、同時になぜだか痛快な思いがした。若くない女性の制服姿には、どことなく悲壮感を覚えてしまうものだけれど、マキエさんの姿はひたすらにまぶしかった。突き抜けて明るかった。

それからマキエさんの活動を追うようになり、最初にあった混乱は徐々に憧れへと変化した。寒空の南房総、早朝の銀座、雲より高い薬師岳などをバックに撮られたホタテ貝ビキニ姿のマキエさんから目が離せなかった。性自認が男、というわけではないが、女であることになぜか胸をはれないまま生きてきたわたしは、マキエさんの姿勢に「絶望の先にある希望」のようなものを勝手に感じ取った。

そんなマキエさんの作品集が刊行された。しかも集英社インターナショナルから。大手。やっぱり痛快。

この作品集には、マキエさんの自撮り作品と、抜粋されたツイート、山下裕二さんと都築響一さんの寄稿、伊藤比呂美さんとマキエさんの対談が収められている。それらを読むとマキエさんの作品の背景が見えてきてどれもが素晴らしいのだけど、特に「性の対象として見られることがずっと嫌だった」から始まるマキエさん自身のステートメントは何度も読みたい文章だ。このステートメントには、性的に見られることに苦痛を抱えてきたはずが、49歳で閉経の兆候が見られた時に思いがけず大きな喪失感を覚えたこと。そしてそれがマキエさんを自撮りに駆り立てるひとつの契機だった、ということが書かれている。

「昭和の『エロ』は、女性の人権を、あり得ないほど蹂躙しているものだった。それは、まさに男たちのファンタジー。女性から見ると、あまりにバカバカしい、そのファンタジーを再現して笑うことが、かつて葬った自分の女性性への弔いになるような気がした」

マキエさんの作品はたしかに肌色が多いのだけど、そこにあるのはエロスというよりはユーモアだ。とにかく、本気でふざけている。マキエさん自身は美しいのだけれどそういう問題じゃない、反骨心や復讐心をお砂糖でコーティングしたような、毒々しさと甘さが同居した世界。

マキエさんはプロのカメラマンで、これを自分で撮影していることも大きな意味を持つと思う。カメラマンの世界は男性社会らしいが、その中で裏方として生き抜いてきた確かな腕の為せる技でこの作品群を生み出したと思うと、なおさら胸に迫るものがある。男性に消費される対象としての女性。それをフィクションとして捉え、自分の体をおもちゃのようにして遊んでいる。最高。

女として生まれてきたことをうまく消化できずにいて、いつかうまく飲み込める日が来るのかどうかもわからない。そしてやっぱり女であることで嫌な思いをしたこともなくはない。でも、マキエさんの作品をみていると、女を受け入れるタイミングも、怒りのあらわし方も、それぞれでいいんだってことを思う。いつか、自分のきた道を受け入れ、マキエさんのようなまぶしさを獲得したい。あくまでもわたしのやり方で。

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マキエマキ『マキエマキ』(集英社インターナショナル)