2018年の西田卓司さん(余白おじさん)をあらわす一冊:宮島達男 『芸術論』

2018年の年末短期集中企画「2018年のあなたをあらわす一冊」。2人目は、農作業や本屋を通して人と人をつなぐ活動をしている西田卓司さんです。

「元来、アートは職業になじまない。職業とは誰かのニーズがあり、それに応えて初めて成立するものだ。ところが、アートには他者のニーズがなく、自らの思いをカタチにするだけだから、そもそも職業とはなり得ない。(中略)私は、アーティストは自分の生活を自分で支え、なお、自らの思いを納得するまでカタチにし、他者に伝える人間だと考えている。こう考えていけば、アーティストとは職業ではなく、むしろ生き方になってくる。アーティストという生き方を選べば、じつはもっと自由になる。」(本文より引用)

「アート」を「本棚」に「アーティスト」を「本屋」に替えても、同じだろうな、と。
「本屋」っていうのはたぶんそういうことなんだ。

2016年11月にツルハシブックスの実店舗を閉店し、今は移動本屋として、夏の「アルプスブックキャンプ」(木崎湖)などに出店し、悩みを聞いて本を処方する「本の処方箋」などの活動を行っている。僕にとって本屋のお客は10代~20代の若者であって、彼らの世界が広がるような機会を本で提供したいと思っている。いまは、「かえるライブラリー」という、5人集まればだれでも小さな本屋ができる仕組みを構築中だ。

そんな企画について話していたら、何人かの人に、「なぜ、それが本屋(という手法)なのか?」と言われ、即答できずに考えてきた。

7月、アルプスブックキャンプの前日、長野県伊那市の、とある本屋さんがこんなことを言っていた。

「本屋」っていうのは「本の一時預かり」のことだ。誰かのためにこの本をキープしなきゃ、と思うから本を仕入れ、誰かが買ってくれるのを待つ。それがいつなのかわからないけど。

素敵だなあと思った。誰かのためにこの本をキープしなきゃと思える本に出会う瞬間を思い浮かべた。

僕にとって、「本屋」は、「予測不可能性」にあふれた、「委ねられる」場である、ということ。目的とか目標とかではなくて、どうなるかわからない、というその不確実性が魅力であること。

そこには、「手紙」のような何かが詰まっている。僕は心こめて、祈りを本に託すのだけど、その祈りが届くかどうかは読んだ本人に委ねられていること。

それを繰り返していく「場」が僕にとっての本屋なのだろうと思う。

1冊1冊の本の中に、目に見えない手紙を差し込んで、それが届く日、読まれる日を祈りながら、本を並べる。

「本棚には他者のニーズがなく、自らの思いをカタチにするだけだから、そもそも職業とはなり得ない。」

僕にとって、本屋というのは、きっとそういうこと

本屋という生き方を選べば、じつはもっと自由になる。

 

2018年の西田卓司さんをあらわす一冊:宮島達男 『芸術論』


西田卓司:余白おじさん/現代美術家(リレーショナル・アート)/NPO法人ツルハシブックス代表理事/暗やみ本屋ハックツ発起人/かえるライブラリー発起人/1974年千葉県出身。新潟大学農学部在学中「畑は人と人とをつなぐ」と直感し、1999年「まきどき村」を設立。その後出版社の地方書店営業などを経て、2011年新潟市に「ジブン発掘本屋ツルハシブックス」を開店、店内に設置した「地下古本コーナー HAKKUTSU」などで地域の大人と中高生との接点をつくる。2015年1月より茨城大学社会連携センターにてCOCコーディネーターとして勤務しながら東京・練馬で「暗やみ本屋ハックツ」を立ち上げ。2018年4月よりフリーとなり、各地で本をツールとした場づくりやコミュニケーションデザイン等を行っている。Twitter:https://twitter.com/tkj83