第3回 歴史を知ると風景が変わる 本との土曜日「ローカルな東京を考えるための10冊」

2017年6月17日にBETTARA STAND 日本橋にて、本との土曜日が開催されました。こちらのイベントは毎月第3土曜日に開催されているブックマーケットで、この日で第5回目を迎えています。6月のテーマは、「トーキョーのローカル」。ブックマーケットの後には、当日の出店者から4名が登壇した「ローカルな東京を考えるための10冊」というトークイベントが繰り広げられました。そのトークの様子を、全4回でレポートします。今回はその3回目。Readin’ Writin’の落合さんとTOKYObetaの江口さんが、東京の歴史を描いた作品を紹介します。(第1回目はこちら。第2回目はこちら

 

中岡 では落合さん、お願いします。

落合 みなさんなかなか降りたことがない場所かと思うのですが、銀座線の田原町という駅の近くに「Readin’ Writin’」という、読むことと書くことを屋号に掲げた本屋を、今年の4月23日からやっています。本屋をやりながら兼業主夫をしていて、今日も19時までに息子を保育園に迎えに行かなければなりません。そんなわけで、今日は川向うから来ました。もちろんその川っていうのはセーヌ川ではなく、墨田川です。墨田区曳舟から参りました。

 

3月まである新聞社で記者をしていました。通算で言うと34年くらいやっていたのですが、ずっと事実を取材して書く、ということをやっていました。だから、僕も本屋をやりながらライティングということもこれから個人レッスンで続けていこうと思っているのですが、自分の頭の中で考えていることを書いてもたかが知れていると思っていて、人に会って話を聞いたり、自分で街を歩いたりして、見て、感じて、そこで出会った人との話を書くということを今までしてきましたので、そういうことも引き続きやっていこうと思っています。で、ちょっと話がいったん飛びます(笑)。

 

いくつか本を持ってきたのですが、2013年だから、4年前ですかね。ヘイトスピーチと言うのが、大きな社会問題になった中で、その時出会ったのが『九月、東京の路上で』(ころから)という本です。1923年9月1日、関東大震災ですね。その混乱の中で、朝鮮、中国の多くの人が殺されたということを地元の人とかいろんな人たちに聞き取って書いた本なんです。実は僕の住んでいる曳舟のすぐ近くで、実際にそういった虐殺された場所、遺体が埋められていた場所があるんです。

 

その本を読むまで虐殺があったことは知りながらも、それがすぐ近くだったということは知りませんでした。自分の住む身近な場所で、そういうことがあったと知った時に、それまで自分が見ていた風景がちょっと違ったような気がしました。これはあくまで想像ですが、その時かかわった人の子孫がその場所におそらく住んでいるだろうな、と。その家の中では伝承されていることなんだろうと思うし、もしかするともう語りたくない事実として、伝承されていないこともあるかもしれないですが。

 

 

ここでまた話は変わるのですが、僕は基本的に物事をネガティブに見てしまう性格で。例えば3年後に東京オリンピックが開催されるので、今それに向けて経済効果だとかいろいろ言われていますが、そういうこともずっと懐疑的に見ているところがあります。そういう意味でご紹介したいのが、奥田英朗さんの『オリンピックの身代金』(KADOKAWA)です。

 

1964年、この中で生まれている方がどのくらいいらっしゃるか…僕も含めて二人くらいですかね。あのオリンピックも、日本が高度経済成長に向けてわーっと盛り上がった時に開催されたスポーツイベントということで、非常にこう今の人たちにとっては、明るいイベントとして語られていると。そしてそのイベントが3年後にもう一回ある。それによって、東京を含む今の日本が変わるんじゃないかということで、期待をされている方がたくさんいらっしゃると思います。

 

しかしその1964年のオリンピックの時にどういうことがあったのか。首都高ができ、いろんな堀が埋め立てられる中の繁栄というか、イベントだった、ということが書かれているわけです。反映の陰には地方から出稼ぎで出てきた人たちのいろんな犠牲の上に成り立っていたことが、今はほとんど語られていないということを感じて、僕は本屋になってそういうことを語り継いでいきたいなと、今日はあえてこんな本を持ってきました。

 

中岡 東京オリンピックについてだと、やっぱりその時期、高度経済成長期の前後でローカルの質や濃度が変わってると思います。首都高ができて、ここ日本橋も西と東に分かれ、華やかな方とそうではない方ができたんですよね。分断されたのは東京オリンピックのための経済成長、土木工事によるもので、川がなくなったのもその辺りですよね。

 

朝鮮人虐殺の話で言うと、僕は学生時代に小平というところに住んでいました。その辺りには玉川上水が東西に走っているんですが、玉川上水を渡ると小平になるんですね。その渡るところに喜平橋という橋が架かっていて。住んでいる時は知らなかったのですが、確かまさに『九月、東京の路上で』に喜平橋の話が書かれていて、そういう関東大震災が起こって、朝鮮人の暴動が起こるから気をつけろ、みたいな自警団が組織されて、竹槍なんかを持って構えていた人たちがたくさんいたっていう。噂に過ぎないものかもしれませんが。そういう話を聞いて、自分がいつも通っていた喜平橋というところで、そういうことが起こっていた、と。自分が歴史と繋がる一つの機会だったな、ということを感じました。

 

で、一周したのでまた元に戻りまして、もう一冊ずつくらいご紹介頂ければなと思うのですが、いかがでしょうか。江口さんお願いできますか。

 

江口 ローカルの話がいいですか?東京の話がいいですか?

 

中岡 うーん、東京の、ローカル(笑)

 

江口 わかりました(笑)。先ほど関東大震災の話がありましたが、今日売った本の中に後藤新平の本がありました。後藤新平は関東大震災後に東京を震災に強い街にしようという「帝都復興構想」という企画を立ち上げたんですが、それが頓挫してしまったんですね。でもその名残として今の靖国通りとか、表参道ヒルズの建っている場所にあった同潤会アパートができたっていう歴史があって。関東大震災が東京の分断や、東京という言葉の意味合いを変えるきっかけになったんだなと感じます。

 

その中で、自分たちが普段歩く町並みや景色をすごく考えさせられる本ということで、去年出たばかりの『戦後東京と闇市』(鹿島出版会)です。建築家の石榑督和さんが博士課程の時に研究した内容なので、基本的には研究論文に近い形になっています。内容が、「戦後東京と闇市 新宿、池袋、渋谷の形成過程と都市組織」、つまり闇市研究なんですね。第二次世界大戦が終わった後に、物資が圧倒的に不足している中で普通の市民がどう生活していくかという背景の中で、色んな所から物を調達してきた人たちが、いろんな価格帯で販売をし、そこで商売をしてきたのが闇市です。

 

いま僕らが渋谷に行くと、当たり前のように東急があって、ヒカリエがあって、駅前のスクランブル交差点があるんですけれど、そういうのができたのはほんとにこの数十年のことで、その辺りはもともと原っぱのような場所だったんですね。その原っぱだった場所に闇市ができて、いろんな人たちがやってきて、巨大なマーケットを展開していった。そこを、鉄道会社がいろんな交渉をする中から、生まれてきた風景が今なんですよね。

 

例えば、新宿だと、小田急線の近く、いまユニクロが建っているあたりの場所も元々闇市でした。想い出横丁はまさに闇市のなごりですね。新宿武蔵野会館がある辺り、ビックロの辺り、ちょっとあの辺も上の方に行くと小さなお店がたくさんありますが、あれもやっぱり闇市の名残があったり。戦後の色んないざこざの中で残った歴史の足跡というか、傷跡のようなものが、実は我々が当たり前のように見ている風景の中にあるということなんですね。なんとなく不思議だなと思う景色の中に、実は70年前の歴史が今に残っているという、そういうようなことを研究している内容ですね。

 

普段当たり前のように歩いていると、なかなか自分の視界に入ってこないような小さな出来事も、50年前、70年前、100年前のものがそこに地層のように残っている、ということも東京という都市における一つの小さなローカルであり、かつての営みによって生まれたものです。東京という言葉でくくってしまうと、すごく派手なもののような印象が、特に23区の中で感じられるのですが、かつて渋谷が谷だったように、色んな歴史がそこにはあるということが感じられるのではないかと思います。

 

中岡 最近立石ですが話題になっていますね。

 

江口 巨大な商社のモールができるという噂の。

 

中岡 そうです!曳舟から立石ってどのくらいですか。

 

落合 三駅です。実は今日、息子を保育園でピックアップした後に、二人でいつも行く立石の居酒屋に行くことになっているんです(笑)

 

江口 あのようなちょっと古めかしいなって感じるところも、たぶん無くなった瞬間に、最初から無かったもののようになるんですね。なので、歴史と言うのは書物に残したり、いろんな形でアーカイブをしていく努力をしなければ残すことができないんですよね。建物も同じで、僕らはついつい新しいものを求めてしまって、安価なものや手を抜いたものを求めてしまうけれど、江戸時代のものや戦前のもの、色んな建物やそこで行われている営み、傷跡があるものなんかをあっさりなくしてしまうことで、実は取り返しのつかない価値を見失うんじゃないかな、と感じていて。闇市の名残として、変なドレス売ってるなとか、謎の印鑑売ってるな、とか、そう思いつつも、視点を変えると、なるほどなと。昔はいろんな街だったんだな、ということを感じれば、色んな見方ができるよね、と思います。

 

中岡 いわゆる東京の面白さのひとつっていうのが、そういう訳の分からないものが並んでいるエリアが割とあったこと、今もあるけれど昔はもっとあったと。それが実はカルチャーの発端になっていた部分もあると思うし、家賃が安いからぶっとんだこともできたと思うし。中央線カルチャーなんかもそうですよね。今田さんに聞いてみたいのですが、東京の国分寺って、僕は学生として通っていた時に比べるとどんどん変わっているんですよ。いま駅前に巨大な穴が開いていて、要は高層マンションが建てられることになりそうなんですね。そういった中で、面白い東京が、ローカルな東京が、どんどん無くなっているなぁ、ということを思うのですが、地元に住んでいる立場からどういうことを思うか、今田さんにお聞きしたいです。

 

次回につづきます)