第2回 本づくりからみえてくる東京 本との土曜日「ローカルな東京を考えるための10冊」

 

2017年6月17日にBETTARA STAND 日本橋にて、本との土曜日が開催されました。こちらのイベントは毎月第3土曜日に開催されているブックマーケットで、この日で第5回目を迎えています。6月のテーマは、「トーキョーのローカル」。ブックマーケットの後には、当日の出店者から4名が登壇した「ローカルな東京を考えるための10冊」というトークイベントが繰り広げられました。そのトークの様子を、全4回でレポートします。今回はその2回目。本づくりをする今田さん、森田さんのお話からみえてくる東京とは?(第1回目はこちら

 

中岡 次は今田さん、お願いします。

 

今田 こんばんは、今田と申します。東京の西の端の方の西国分寺にあるクルミドコーヒーというカフェから生まれたクルミド出版というところで働いています。普段は本の編集したり、本を届けたり、あとは小さな雑誌をつくったりしています。今日のトークに出ているほかの3名と比べてみて、自分の立ち位置を考えながら本を選んでみました。

 

まず一冊ご紹介したいのが、宮本常一さんの『私の日本地図』(未來社)です。この本は日本各地を宮本常一さんが実際に歩き回り、紹介しているのですが、その第10巻で「武蔵野・青梅」を取り上げているのですね。

 

先ほど江口さんがおっしゃられたように、東京は抽象化というか、メタ化されたところがあると僕も思うのですが、それを因数分解した時に僕らが住んでいるところは武蔵野や多摩と呼ばれたりしています。

 

この宮本常一さんの本は1971年に出版されているんですが、その頃の西国分寺はどこも雑木林しかないようなところだったようです。それがどんどん伐採されていて今のような街ができていったんだなということを、この本を読んで考えさせられます。ちなみに、つい最近、老人ホームを建てるため、最後に残されていた雑木林が伐採されました。

 

地形を生かして暮らしていた1970年代の頃と、森林が伐採されていろんな建物ができていったいまと、どちらがよいというわけではないですし、昔がよかったという風になりすぎるのはノスタルジーなんじゃないかという意見もあると思うんです。

 

 

ただ、時間という軸で見た時に、雑木林のようにずっとそこにあったもの、簡単には取り戻せないものを切り崩していいのだろうかということを考えてしまいます。もちろん土地の所有者などいろんな事情があるということはわかっているのですが。

 

その雑木林がなくなってしまったとはいえ、東京都心に比べると武蔵野地域にはまだ緑が多いので、それらの自然と暮らしていく方法はないかということを考えています。

 

1970年代にこの本が書かれた時点でも、「どんどん緑が減っていて今後どうなるかはわからない」と書かれているのですが、今もまさにそんな状況になっています。この本を見るにつけ、感覚的にはこっち(1970年代の頃の武蔵野)の方がいいんじゃないかと思ってしまいますね。

 

中岡 ありがとうございます。雑木林がなくなって、見慣れた風景が変わっていくというときに、人はその土地に対する愛着が失われるかもしれないし、あるいはその反動で愛着が強くなる場合もあるかと思うんです。

 

今田さんが西国分寺で『そういえば さぁ、』という雑誌をつくるひとつの原動力として、そのような背景もあるのかなと思いました。失われてしまった人間関係とか、見慣れてしまった風景に実はいろんなものがあるとか、その土地固有のものを探していくという

 

…僕、すごくいい雑誌だと思っているんですよね。なかなかご自身では強く薦められないと思うので、僕が言いますが(笑)。

 

今田 ありがとうございます。『そういえば さぁ、』という雑誌はまだ3号しかできていないのですが、いま中岡さんの話を聞いて思い出したことがあります。

 

この雑誌をつくるにあたって、なんで雑誌をつくるのかとか、既にたくさんある他の雑誌と比べたときに、僕らはどんな雑誌をつくればいいのかというところ、雑誌の思想のような部分を色々考えたんです。

 

そのとき考えたのが、さっき中岡さんがおっしゃっていたような、既に失われたものを記憶に残せたらいいんじゃないかと。そういうことに光を当てていけば、他の雑誌との差別化にもなり、愛着に近いことのようなものを生み出せるのではないかと思いました。

 

創刊前の準備号というのがあるのですが、「昔国分寺は本屋天国だったんじゃないか」という証言をもとに、それが本当かどうか、どんどん調査を続けて、国分寺の本屋の地層のようなものを調べていきました。

 

 

本屋天国であったかどうかはそんなに重要じゃなくて、読んでくれた方が「あ、そうそう。」「そういえば、こんなお店だったわ」と話しかけてきてくれるということに、より意味があるという気がしていますね。

 

中岡 そういえば さぁ、』の中には例えば「西国分寺には〇〇が多い」とか、地域をよく観察している内容が多くみられます。統計もしっかり使っている。あと「どこまでを西国分寺というのか」とか、そういうある意味ベタにローカルなことをやっている人たちって意外といないんですよね。

 

ローカルメディアというと、いわゆるリトルプレスとか、どうもかっこいいものであるべし、という風潮がある中で、『そういえば さぁ、』は正統派だと思っているんです。

 

先ほど江口さんからは、高度経済成長の頃のイメージを基盤とした東京、というお話がありましたが、一方現代における東京というイメージの中で生きている人、ということで、次に森田さんからお話を伺えたら。

 

カルチャーを軸としたローカリティ

 

森田 森田と申します。よろしくお願いいたします。フリーの編集、ライターの仕事をしつつ、普段はオンライン書店で本に関するコラムの編集をしています。

 

あとは個人で『なんとなく、クリティック』というリトルマガジンをつくっています。これは基本的に僕が気になっていた人にロングインタビューをさせてもらったり、対談してもらったり、ひとつの漫画について何人かのライターさんにクロスレビューを書いてもらったりしている、カルチャー誌のようなものです。もう3年くらい新刊を出せていないのですが、いずれ作りたいとは思っています。

 

なんとなく、クリティック』とは別に、『なnD』というリトルプレスのような雑誌というか冊子というか…自分たちでもなんて呼んでいいのか迷っている本を、年に一冊のペースで2013年からつくっています。

 

 

これはデザイナーの戸塚泰雄さん、ライター・編集者の小林英治さんと一緒につくっているのですが、だいたいいつも企画から校了までの制作期間が1ヶ月くらいなんです。

 

今回の「本との土曜日」での「トーキョーのローカル」というテーマに引き寄せて考えると、今年出した『なnD 5』が「3月 東京」というコンセプトでつくっていて、2017年3月に編集人の3人がそれぞれ気になっている人に話を聞きに行って、取材場所と取材した日時を明記して記事を時系列で載せているんです。

 

たとえば、小山田圭吾さんの記事だったら「3月13日|15:13|桜新町・3D」みたいな感じで。そして、その取材場所がすべて東京だったんですね。

 

今田さんが先ほどおっしゃっていた『そういえば さぁ、』の国分寺が本屋天国だったか調べた特集というのは、関係者にどんどんインタビューをされていったのですか?

 

今田 そうですね。街の生き字引みたいな人にまず、話を聞いて。そこからどんどん広がっていって。

 

森田 取材していく中での話がリンクしていったり広がっていく、そういう経験って面白いですよね。

 

なnD 5』では3月2日に最初の取材があって最後が3月18日、実質3週間くらいで27の取材を行いました。3人がバラバラに取材しているので『そういえば さぁ、』のように一貫したテーマがあったわけではないのですが、それでもどこかで何かがリンクしていくことがけっこうあって。

 

たとえば、3月4日の夕方に『バンコクナイツ』という映画の取材を小林さんが新宿でしていて、その取材には僕は参加していなかったのですが、僕は僕で3月4日の夜に「アマラブ」という武蔵小山のジャークチキン屋に取材することが、その日の夕方に決まったんです。

 

そしてアマラブに行ってみたら、小林さんが『バンコクナイツ』の取材でインタビュアーをお願いしていた菅原祐樹さんというライターさんが、取材終わりにたまたま来ていて。

 

しかも僕がアマラブ取材のインタビュアーを頼んでいた高橋政宏さんという音楽家の方と、アマラブ店主の菅野信介さん、菅原さんは大学の同級生で知り合いだったらしいんです。僕は3人のことはもともと知っていましたが、その関係は全然知らなくて。

 

武蔵小山の土日しか営業していない小さなジャークチキン屋で、『なnD 5』の取材を通して意図せずつながったというか。そういう偶然の出来事が取材中はわりと起きていて、それって「トーキョーのローカル」ということと、なんかつながりがある気がしましたね。

 

中岡 面白いですね。これだけ人がいて、これだけ目まぐるしく動いている東京で、実は知り合いが、他の知り合いとつながっていたり、意外な場所で会ったり、そういうことってありますよね。土地とか、時間という軸以外に、そこに嗜好性というか、趣味であるとか、好きなものだとか、一緒に仕事している関係とか、そういう人同士って、なんとなく同じ店に行ったりしますよね。

 

そういうのを可能にするのが東京と言うか、趣味を全開にできる面がありますよね。「これが好きだったら、これ行くよね」っていう共通認識みたいな。ローカルというのとまた別の軸として、趣味性みたいな軸があるように思いますよね。

 

森田 本や雑誌をつくることによって、その網みたいなものが広がる気がします。ローカルのつながりというか、「東京」というものが自分にとってより具体性なイメージを伴ってくるというか。

 

僕は東京出身で、ずっと東京に住んでいるのですが、こういう本づくりをはじめたことによって、東京によりローカル性が帯びてきている感じがしていますね。

 

中岡 それが東京らしいところなのかな。

 

森田 小さな街で知り合いによく会うっていうのとも、また違う意味合いなのかなって気がします。

 

 

中岡 時間的にさかのぼることによってローカルらしさを見出していく一方で、今の東京らしさを掘り下げる方法もある気がしますね。

 

森田 もうひとつ偶然性にまつわる話があって。『なnD』は編集人の3人が、それぞれ知り合いの本屋さんとかに納品しに行っているんです。

 

去年、目白にある「ポポタム」というギャラリー兼本屋さんに納品に行った時、そこで個展をやっていた阿部海太さんという絵描きの方が在廊されていて、自主製本されている本のことなどについて少しお話ししたんです。

 

そして今年、学芸大学の「SUNNY BOY BOOKS」という本屋さんに『なnD 5』を納品しに行った時、ちょうど阿部海太さんの展示をやっていて、しかも偶然にも阿部さんが在廊されていて。

 

阿部さんにはポポタム以来一年ぶりにお会いしたのですが、「『なnD』の納品のたびに会う人」みたいな感じになっていて。しかも阿部さんは今、関西に住んでいて夜行バスまでの時間を潰すためにSUNNY BOY BOOKSにいたらしくて。だからその時、「また一年後、納品の時にお会いしましょう」と言って別れました(笑)。

 

中岡 ひとつの雑誌をつくることによって偶然性を呼び寄せているように感じますね。

 

第3回につづきます)