第3回 こ、これが宿命じゃ… 『あたらしい無職』刊行記念トークイベント 丹野未雪×栗原康「無職を語る」

8/11(金)東京・田原町のReadin’Writin’にて、『あたらしい無職』(タバブックス)刊行記念イベント「無職を語る」が開催されました。『あたらしい無職』は著者の丹野未雪さんがフリーランスや正社員として過ごした3年間の記録で、会社とはなにか、仕事とはなにかを考えさせられるエッセイです。今回の対談相手は、おなじくタバブックスより『はたらかないで、たらふく食べたい』を出版されている政治学者の栗原康さん。旧知の仲であり、栗原さんによると「貧乏、借金、タバブックス」が共通点であるおふたり。世の中の窮屈さから自由に生きていくためのヒントが得られるトークの中身を、一部抜粋して全5回でレポートします。(過去回はこちら→第1回第2回

 

栗原 さっきの話に少し戻りますが、高度経済成長期に超働いてきた人が、80代になったら「85歳、無職」なんて扱いをうけることはひどいなと思うし、ぼくは、ジジイババアが好きなんですよね(笑)。高齢者への尊敬の念をいつも持っていて。だから言いたいのは、いまこそ老人が無職に開き直る時代なのかなと。あたらしい、じゃなくて、ふるい無職かもしれないけど(笑)。

 

丹野 ジジイババア(笑)。毒蝮三太夫的ですね。

 

栗原 『野ブタ。をプロデュース』や『Q10』を書かれた脚本家の木皿泉さんという、60代のご夫婦おふたりで共作されている脚本家の方がいらっしゃるのですが、その旦那さんの務さんから『はたらかないで、たらふく食べたい』の感想をいただいたんです。

 

それで、去年、おととしかな、宮川さんと一緒に木皿泉さんの神戸の家に遊びに行ったときに、老人についていろいろ話してくれたのがおもしろくて。

 

務さんは一度脳梗塞にかかって、いまは回復しているものの障害は残っていて、車いす生活をされているんですね。それで、奥さんだけで務さんを看るのは大変なので、高齢者や障害で動けなくなっている方向けの施設に月に一回くらい通っていたそうなんです。

 

だいたいそこにいる人たちは80代とか、90代とかのおじいちゃん、おばあちゃんだったので、まだ60代の務さんは最初その施設が嫌だったらしいんです。思考もはっきりしていて、ものも考えられるから、手をたたきながらみんなでおなじ歌をうたいましょう、っていう施設のスタッフからの扱いに「馬鹿にしてんのか」みたいな(笑)。そういうのがムカついてムカついてしょうがなかったみたいで、最初はすごくふてくされていたらしいんです。

 

でもある日それが、おもしろいって思えるようになったらしくて。まわりを観察していると、80代になってくると元気がよくて場を仕切っているのがババアどもなんですって(笑)。

 

丹野 何が起こっているんですか?

 

栗原 施設で朝ドラみていたりすると、「若いころのわたしのほうが美人だったわよ」なんて言ったりして、女優をディスったりして(笑)。そういうばあちゃん連中の集いができていて、むさくるしいジジイとかがディスられているっていう(笑)、そういう状態になっていたらしいです。

 

そんななか、ある日あたらしくやってきた70代のおじいちゃんが、すごくいい車で施設に送られてきたそうなんですが、それをババアたちが「金持ちがきたわよ!」とさわぎ立てて(笑)。そのあたらしくきたおじいちゃんは、大企業の元重役で、京大出身で、と立派な肩書をお持ちだったんですが、もうそうなるとババアどもの餌食なわけですよ(笑)。

 

丹野 餌食(笑)。どうなっちゃうんだろう。

 

栗原 そのおじいちゃんが、ババアどもに囲まれて質問攻めにされたりするんですが、体も悪いし声もなかなか出ないからうまくしゃべれなくて。そうすると、「京大出身なんてウソよ~」なんて言われたりして、ディスられまくっていて。そこにくると、もう肩書なんて通用しない世界なんですよ。ひたすら餌食にされていて、そういうのが何日もつづいて。

 

丹野 務さんはそれをじーっと見ているんですね。

 

栗原 そう、じーっと。それが何日もつづいたある日、いつものようにそのおじいちゃんがババアどもにディスられているのを見ていたら、ふと目があっちゃったんですよ。で、おじいちゃんが、「あ、あ…あ……」となにか務さんに言おうとしていると。で、なに?と務さんがおじいちゃんの方を見たら、たったひとこと。

 

「こ、これが、宿命じゃ…!」って(笑)。

 

丹野 宿命…! おじいちゃんは、「これは因果応報だ」と理解したんだ(笑)。

 

栗原 そうそう、もしかしたら過去に部下にパワハラしていたかもしれないし、女性にもひどい扱いをしていたかもしれないし、たぶんそういうことを言いたかったのかもしれない。

 

丹野 そうやって消化できていることがすごいですね。

 

栗原 そのおばあちゃんたちも、若いころは「女は家庭で男を支えるもの」みたいなことを言われていたんでしょうけど、人間80歳になって無職になると、そういう肩書とか、女としてとか、すべて振り払われていると思うし、おじいちゃんもディスられながら、自分の肩書みたいなのがすべてはがれていくと思うんですよね。人がゼロになっていく感覚、つまり無職から出発していく、というのがおもしろいですね。

 

 

丹野 ほんとですね。わたしは無職になるって決めたときに、やっぱりやりたい仕事じゃないとつらいな、と思ったんです。正社員時代も仕事自体は楽しかったし、すごく向いていたと思う。会社組織のなかでやっていくことで逆に仕事がしにくくなってしまうのが嫌でやめた、という感じなんですよね。

 

栗原 仕事自体は、地方に行ったりして楽しそうですもんね。

 

丹野 そうなんです。楽しいし、好きなんですけど。仕事に乗っかってきちゃう負荷の部分に、やりたいと思うことがつぶされていくので、それを取っ払ってただただ仕事がしたいと思ったんです。だから、じいちゃんばあちゃんが、ある種の負荷というか社会的な役割を捨てて、体当たりの人間付き合いをしているのはおもしろいなあと思います。

 

栗原 いま仕事といわれているものって、どうしても会社という組織があって、利益をあげるために役割が振られていて、ひとりひとりが「しなきゃいけない」ことに縛られていくんですよね。でも、仕事じゃなくたってやりたいことはたくさんありますよね。ぼくだったら、カネにならないクソみたいなことだって書きたいことはいっぱいあるし、そういう雑誌もつくったらおもしろいだろうし。

 

丹野 この本に関してとびきりうれしかった感想があるんです。いま一緒に仕事をしている50代の女性で、フリーで料理関係のお仕事をされている方なんですけれども、その方にこの本を読んでいただいたんですね。

 

わたしとしては仕事相手にこの本を渡すことはすごく大きな賭けでもあったんです。だって、人によってはタイトルだけで「こんな無職なんていってる人は嫌だわ」って軽蔑されたらそれでひとつ仕事を失うことになるじゃないですか。しかも、自分がいかにポンコツかっていうことも書いているし。

 

なので、どんな感想を持たれるか、ちょっと怖かったんです。先日、ドキドキしながら打ち合わせに行ったんですが、開口一番、「わたしも無職よ!」っておっしゃって。そのひと言に、わたしが言わんとしている無職というものを理解してくれたっていうのを感じることができて、とてもうれしかったです。

 

その方はずっとフリーで活動されているので、自分で考えて動いて、人間関係を築き上げて、仕事を獲得されてきたわけですよね。そうやって経験を積んできた人にそう言ってもらえて、しばらくじーんとしてしまいました。打ち合わせ中なのに(笑)。

 

栗原 ここでフリーであるというのは常に無職であることから出発しているということなんでしょうね。お金になるかどうかとか関係なく、本当の意味でやりたいこと、その方の場合は、料理のことを広めたいっていう思いですよね。

 

丹野 そうそう、読んでくださった方が、そうした思いや仕事観を話してくださるんですよ。なぜこの道を選んだのかとか、友だちにこんな働き方をしている人がいて、とか。

 

福岡と広島でトークイベントをしたときも、来てくださった方が、本に共感したうえで、「私はこうで、周りはこうで」と話してくれたんですね。無職であることや働くうえでの違和感なんかについて話す場を求めている人は少なくないのでは、とこの本を出してみて思ったりしたんですよね。

 

栗原 いろんな人たちがそういう話をするための起爆剤になっていそうですよね。いままだどうしても、無職とか、はたらかないで好きなことをやっていくことをポジティブに語っちゃいけないみたいな風潮がありますからね。

 

丹野 「やりたいことがある」っていうと、「夢をかなえたい」みたいな感じで言われちゃうじゃないですか。

 

栗原 バカにするっていうか。「素人が趣味で…」みたいな言われ方をしたりする。

 

丹野 夢とはいわないまでも、自分に向いていることをつづけていくとか、ささやかなことでしかないと思うんです。それでわたしはずっと仕事をつづけてこられたと思ってますが、それさえ言いにくくなるのは嫌ですね。ブラック企業をめぐる意見を見ていると「会社に従っていけない人間は負けている」とか…。

 

栗原 それ、すごいことばですよね。ブラック企業でも耐えなかったらそんな人間やっていけねーよ、ってそれ、ヤバいですよ。

 

丹野 生きていく方法として、企業に勤めることしかないとか、基準がひとつしかないというのはものすごく息苦しいですよね。人がいろんな価値観や軸を持って個々働いているっていうことを知る機会は案外あまりないものですよね。

 

栗原さんが教えている学生さんはどうですか。仕事をどうやって探しているんでしょうか。

 

栗原 いまぼくが教えている大学の学生は、あまり就活、就活していない感じですね。ぼくがおしえているのは、山形にある東北芸術工科大学の文芸学科というところで、小説家になりたい学生が多いので、むしろおもしろいことを学ぼうとしているというか。だから『あたらしい無職』の感覚はわかるかもしれない。

 

本気で小説家になろうとしたら、いきなり21歳とか22歳でデビューして売れっ子になる人なんてそういないですし、それができなかったら小説家失格というわけでは絶対にないですよね。

 

小説家としてやっていくと決めたら、30代でも40代でもバイトをしながらやりくりするしかないわけで。「夢を追いかけてるだけじゃん」とか、「素人が文章書いていても金にならない」と言われるとは思うけれど。もちろんみんな完璧にわりきっているわけじゃなくて、それでも小説家になろうと思う一方で、でもやっぱり就職しなきゃなあと思ってもいる、というところでしょうか。

 

一時期、埼玉にある普通の大学で教えていたこともあったんですけど、そこは完全に就職!就職!という雰囲気で、いまのところとはちょっと違いましたね。すごくピリピリしていた。それとくらべると、山形の子たちは、やたらに目が輝いている、みたいな。だから、この本を読ませなければ(笑)。

 

丹野 ええっ、テキストに!?

 

栗原 いいですね、来年のシラバスに『あたらしい無職』って(笑)。

 

丹野 大学側に怒られないといいのですが…(笑)。

 

次回につづきます)

 

【プロフィール】

丹野 未雪(たんの・みゆき)

1975年宮城県生まれ。編集者、ライター。ほとんど非正規雇用で出版業界を転々と渡り歩く。おもに文芸、音楽、社会の分野で、雑誌や書籍の編集、執筆、構成にたずさわる。趣味は音楽家のツアーについていくこと。双子座。

 

栗原 康(くりはら・やすし)

1979年埼玉県生まれ。東北芸術工科大学非常勤講師。専門はアナキズム研究。著書に『大杉栄伝 永遠のアナキズム』『はたらかないで、たらふく食べたい 「生の負債」からの解放宣言』『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』『死してなお踊れ 一遍上人伝』など。